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Gymnopedie(主将中心吹奏楽パラレル)-3

突然、腕が、動かなくなった。
目が、楽譜を追わない。
今、何小節目?
速度記号は、アーティキュレーションは…

蝉が鳴く。
世界が回る。
回ってるのは俺の方か。

暗転。
背をつたう嫌な感じの汗、立っているのもやっとな暑さとは裏腹に震えが止まらない。

―落ちる!

「部長!?」



気付いた時真っ先に飛込んできたのは、白。それから左右運動を続けるうちわ。背に当たるリノリウムの冷たさが心地良い。
そこで初めて、花井は自分が寝かされていることに気付いた。
起き上がる拍子、額に乗せられていたらしいタオルが湿った音と共に転がる。
叩かれるべき場所を叩かれなかったシンバルのように―ふと、楽器が気になった。

「花井くん、目、さめた?」

大きな双眸に自分が吸い込まれている。ピンと伸びる背、条件反射。

「先生、」

誰より信頼を寄せる顧問兼マエストーソ。

「俺、落ちちゃったんですか…?」

その女性に対して紡ぐ言葉の幼さに花井は思わず閉口し、うつむいた。機何学模様を無意識のうち、数えていた。

「うん、椅子から。最近根詰めて練習してたみたいだから疲れてたんじゃないかな」
「…あ、合奏!」

立ち上がろうとして、やんわりと抑えられる。決して強い力ではないのに、坑えない。

「パート練の指示をしてあるわ。寝てない、食べてないあなたを吹かすことは出来ない。教師としてじゃなく、一人の人間として、の判断よ。花井くん、何をそんなに、焦っているの?」

酷い頭痛、脳内で踏まれる地団駄。
まただ、落ちそうになる。
花井は腹筋に力を込めてなんとかそれをやり過ごした。
そういえば朝からカンカンとグロッケンの高音のようなのが全身に響いていた、気がする。無視した。

「…なんで、知ってんすか」

大きな目を更に大きくする百枝。

「生徒が倒れたら、おうちに電話するのは当然じゃない?」
そんなことすら思い至らない?花井くんらしくもない。
その目が、告げていた。

「…トリプルが、出来ないんです。裏拍もずれてしまう。チューニングすら、合わない。縦からも横からも俺だけがずれてる。頭の中の音と実際に出る音が、全くと言っていいほど噛み合いません。だから、吹くしか、ないから」

食事を摂るのを忘れるほど練習し続けた。
睡眠を取るのを惜しむほどスコアを読み続けた。
それでも隣の―ペットのトップに、肩を並べる演奏には、程遠い。
口中に苦いものがこみあげてきて、花井はそれを掌で制した。

「吐きたいなら、吐けば良いんだよ」
白く細い指が示す先にはシンク。
「泣きたいなら、泣けば良い」
花井の背に、残されていた方の彼女の手がそっと重なる。思いの外浮いていた背骨に、刹那、百枝の声が揺れた。

「なんでこんなに辛いのに、辛いって言わないの。笑うの。心も、体も、花井くん、あなたの音楽だよ。大切にしてあげて」

「それができないのは、俺が部長で、ボーンのトップだから、ですかね」



「行こうぜ、普門館」
その声に戸惑いや躊躇いは微塵もなく。
やけに長く大気を震わせていた、様な気がした。そんなはず、有るはずないのに。

「アンサンブル、しよう」
花井が田島に声を掛けられたのは、2週間前。

「何の?」
「金5」
「曲は?」
「決めてない」
「はぁ?」
「チューバとホルンとペットのセカンドは捕まえてあるよ!格好良いよ!やろうよ!」
「誰?」
「和さんとー、西広とー、泉!」
「…巣山でも良いじゃん」
「いやだよ。俺は花井の音じゃないと、ゲンミツに、いやだ」

飛び出す名前に、自分が負けている、とは思わない。ホルンの西広に至っては、初心者だ。
でも、怖かったのだ、このときから既に。
信じていたもの、築き上げてきたものを上から踏みにじられることが、きっと。
今ならそう冷静になれるが、そのときの花井は、そうではなかった。
意味のわからない不安に、一人、混沌に誘い込まれていた。

「金5で…曲、決まってなくて…普門館、行くわけ?」
「うん」
1対の瞳には、穢れなど、何一つなく。
「そして、金を獲ってくる」
田島の言葉には言い知れない力があった。言霊の、力を信じてしまった瞬間。
あのとき、全てが、決まっていた。
世界が、田島に委ねられた。

物心ついた頃から、花井にとって音は気心の知れた友達だった。
年の近い子供たちは常に花井にべたべたとまとわりつき、話しかけてきてはそれに答えをせがむ。
昨日のテレビでさぁ、そう切り出された瞬間彼らと花井の世界は分断されていた。
昨日の晩、テレビなんか見ていない。一昨日も、一週間前も。
彼らがブラウン管を眺めている間、花井はピアノ線を震わせていた。

田島は戦隊ものの番組をこよなく愛していた。二番目に強くてクールなブルーよりダントツに強くて最後に可愛い女の子とくっつけるレッドになりたくて、よく兄に戦いを挑んだ。必ず負けた。今思えばあれは兄のストレスを分散させる協力となっていたような気がする。なんて都合の良い解釈をする。
一週間、テープは伸びきって砂嵐が映り始めるまで見続けたので台詞は全て暗記していた。そしてその上から新しい週のものを録画する。覚えていれば、怖いものはないと田島は知っていたし、そう信じていた。
田島は楽譜が読めなかったし、今でも読めない。
それでも構わないのだ、彼はその音符がその場所に書かれていればその音を出せばいいのだと覚えているのだから。ヘ音記号だろうがハ音記号がへっちゃらだ。ぐるぐるしたやつでここに書かれていたらこれで、3みたいなやつであっこに書かれてたらあれで、つみたいな やつでそこに書かれていればそれだろう。
そう言ったときの同級生の顔と言ったら!

花井は頭が良い。楽譜の読み替えだって、瞬時にできる。
トロンボーンの楽譜はヘ音記号で実音で書かれているが、ト音記号でB♭調で書かれているトランペットの楽譜を差し出されても瞬時にスライドを構えられる。
飽くなき反復練習によって積み重ねられているから、その瞳に迷いはなくて。
また、花井は耳が良い。普段より10セント低くて音色が硬いなら即座に唾を抜き、正確に決めたミリメートルだけそっとやさしくチューニング管を入れる。慈しむように。

田島はチューニングができない。マーチングバンドに入ったときは大変だった。確実にハモディレから鳴らされる音を当てようとしている、なのに当たらない。違う!泣き出しそうになった。チューニング管の存在を知らなかった。
今でもあまりチューニング管は弄らない。夏でも大体入れっぱなし。基準音に合やあ良いんだろ、そう言って口を緩める。奏でられるふわりと柔らかな音に花井がそっと目を瞑っているなんて知らない。

交わるはずのなかった2人の道を悪戯に捻じ曲げたのは一人の作曲家、顔立ちは割りと精悍、ルロイ・アンダーソン。




「曲は、トランペット吹きの休日、やるよ」
倒れた3日後、部活に復帰した花井の顔色を窺うようにそっと覗き込みながら、だいじょぶ、の一言とともに田島の口から発されたその曲名は、。

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